inotiyorokondeiru’s blog

もともと生まれながらの幸福を「命、よろこんでいる」と表現しています。

2020-01-01から1年間の記事一覧

「命、生きている」ことが自己と気付くことです。

私達は何をしたら満足できるのか、とか、何かしたいことを考えることが先行してしまうようです。 それをもって、生きていると思い込んでいると言えます。 どうしたら、自分の思うように生きられるかと言うことが一番の関心事になっています。 五感以外には何…

脳が機能することができるのは。・・・

人は「命」の表れで、寿命を与えられた形と言えます。 つまり、人は形ですので、何時か必ず壊れる運命にあります。 全ての形は「命」がその原因であり、宇宙にしても宗教にしても、 それら全ての原因「命」を「命、よろこんでいる」と表現しています。 私達…

自分とは何か!を考える。

自己意識は何処から来ているのでしょうか。・・・ 自分を意識することは、脳が意識していると言えるのでしょうか。・・・ つまり、脳が自分と言うことになるのでしょうか。・・・ 確かに、何か考える、感じる、全ては脳の機能ですから、 脳になるのではない…

常識。

私達は、今まで生きてきたこれまでの常識をいったん棚上げすると言うことは、 出来ないと言ってもよいほど難しいようです。 私達が何かを考える時、必然的に今までの経験や知識が、その考え方の土台になっています。 自分の常識を棚上げして、どこまで人の意…

言葉には力が。・・・

「命、よろこんでいる」ことをしっかり言葉にすると、その言葉そのものに力があると考えれば、 「生きている」ことを「よろこんでいる」と感じることが「幸福」とイメージし易くなるでしょう。 とにかく、次々に現象が飛び込んでくると、脳はすぐにそちらに…

「いつも生きている」事実そのもの「命」をもともと「幸福」と思うことです。

そう思うことができれば「生きている」ことが「幸福」となります。 しかし、「生きている」と言うことは「命」そのものですから、 私達の脳は、「生きている」ことそのもの、つまり「命」そのものを、 感覚としては感じることは難しいようです。 そこで、「…

同じ思いの土台に気付くことです。

「命」が変化すると寿命になります。 寿命になると長寿や短命など時間的な差が発生します。 其処にはそれぞれの運命が付いて回ります。 それなりの寿命と言う形になると言うことになります。 私達の常識では寿命も命と言っていますが、 しかし、寿命は死の運…

それぞれの思いの土台に気付くことです。

私達は、それぞれの思いに従って生かされているために、矛盾が生み出されています。 そこで、私達は「何のために生きるか」と言う問題が「共通の目標」にならなければ、 絶対に矛盾を避けられず、どうしても争いや犯罪、戦争が発生してしまうのは、矛盾の結…

世界共通の幸福の提案です。

私達が自由に自分の好きな宗教を信仰し信心することを、楽しむことができるのは素晴らしいことの一つです。 しかし、本質を知らずに何かを信じることは、ある特定の宗教の神や仏に心が向きますから、精神的には自分が絶対となってしまいます。 もし、他の宗…

人生の土台に気付くことです。

「同一の命」が「生きている」ことを「よろこんでいる」と感じることが「幸福」と気付けば、 全ての人は共通の同じ、絶対に公平な「幸福」が成り立つでしょう。 そうであれば、たとえ宗教感や民族主義の違いが有っても、私達は「共通の幸福」、 つまり「命、…

みんなの命も、私の命も、同じ命です。                

全ての人が「同じ命」で生かされています。 その「同じ命」、「生きている」ことを「よろこんでいる」と感じることが「幸福」と気付けば、 絶対に公平な「幸福」が成り立つでしょう。 それを「命、よろこんでいる」と表現しています。 そう言い、意識するこ…

脳が何を考えるかで、大きく変わります。

素直にそうなんだと感じたり、そうなりたいと感じたり、等・・・ 感じ方は同じではないようです。 形の世界は違いの世界とも言えるからです。 私達は「命は生きている」事実に気付くまでには、結構時間がかかるようです。 余りにも周りに起こる現象が気にな…

こんな詩如何でしょうか。

私が生きているのは 命があるから それは 命がよろこんでいる こと それが 私のしあわせ ・・・・・ 命がよろこんでいる 私は感じないけれど 地球は たしかに まわっている 心が感じないけれど 命は生きている そうだよ 命はよろこんでいる よろこんでいる …

単なる理想になるのでしょうか。

「命、よろこんでいる」ことが、理解されていないと、 それは単なる理想になるか、一種の宗教と混同してしまうでしょう。 影も形もない「命」と言う全くの無の何かを、少しでも理解できるようにと無理やりに、 「命、よろこんでいる」と言う言葉にすると、そ…

脳の生きていると命は生きている。

私達は、少しでも豊かになろうと生活レベルを上げることに血道をあげています。 いくら贅沢しても、他の人よりさらに豊かにならないと、豊かになった気にはなれないようです 色々競い合い、競争に勝ってこそ、初めて生きているという思いになれるようです。 …

命は生きていること、わかるでしょうか。

私達は地球が自転していることは知っていますが、自転していることを実感している人はいないようです。 電車や飛行機ですと、自分も動いているのを感じます。 しかし、地球は対象がないので目に見えません。 この見えないということが、地球と一緒に動いてい…

何をもって「生きている」と言えるのでしょう。

私達は「命」によって生かされていると考えることは誰でもできるはずです。 つまり、「命」があるから生きていられると思うことはできるのではないでしょうか。 私と言う自己を「命」に置けば、私は「生きている」ことになります。 しかし、脳に私と言う自己…

努力を努力と感じないようになってこそ本当の努力と言えるのです。

私達は、努力をしなければと思えば思うほど大変な重荷となってしまうようです。 そう思っていると、人が楽をしている姿を見ると怠慢な人だと思ってしまい、腹が立ってくるか、或いは自分が真面目にしているのがばからしく思われ、正直者が損をしているように…

命や生きていることを実感することです。

よろこびには不平、不満、争い、妬みなどの概念は存在しません。 「命、よろこんでいる」という言葉について思索したり、瞑想したり、あるいは直接言葉を反復していると、あるときまるで視界が開けたように、今まで妄想にしがみついてがんじがらめになってい…

影も形もなく見ることもできない「命」って何だろう。!

私達は、制限を受けた中で、何とか自分の満足感を満たそうと日々努力を重ねている時間、即ち寿命でさえ、「命」なくしては存在しないのです。 にもかかわらず、まるで「自分の力で生きている」かのように多くの人は錯覚していて、そのことに全く気付いていま…

「生きている」って。?

あなたが、「今、確かに自分は生きている」と実感するのはどんなときですか。・・・ 毎日の生活の経験の中で感じたり、行動したりすることが「生きている」ことだと思っている方が多いかもしれません。 しかし、それは日々の現象の中で起こるさまざまな出来…

何を考え、何を思うのか。・・・

私達は、何をするにも何を考えるにも自分の考え方、思いを基本に、つまり、中心にしていると言えます。 自己中心の世界です。 「命、よろこんでいる」は、自分の考え方や、思いを表現しているのではありません。 素直に「命、よろこんでいる」と思える人は良…

同一とは全て同じと言えます。

「命、よろこんでいる」ことが同一の「幸福」と気付くことができれば、・・・ 違いを認め合い、助け合い、利益を分け合うこと等、楽にできるようになります。 更に、お互いに「好かれ合っている」ことや「仲が良い」ことが常識になっています。 同一とは比較…

違いを認め合うことは。・・・

私達は自分の思考の範囲内では考えたり、努力したりしますが、残念なことに自分の経験しないことや、想像できないことになると、すぐに拒絶反応を起こすことがあります。 私達は本来、自分が中心の生き方をしています。 その為、自分と違う考え方を本当に聴…

世界共通の幸福を提案しています。

満足感が幸福と勘違いしている間は、私達は、自分の幸福を求めて、益々満足感を満たそうとしてしまいます。 原発問題も、豊かな生活への欲望の結果と言えます。 私達は満足することを願って、その結果がどうなるかを考えることは、ほとんどないようです。 皆…

あらゆることで絶対はないようです。

政治家は自分こそは国の為、人の為に努力していると思っています。 つまり善人と思っているでしょう。でも結果は、必ずしも善にはなりません。 テロリストも、世界を何とかして改革しようと日夜苦労していると本人は思っているでしょう。 でも、やっているこ…

満足には善、悪があります。・・・

満足感は益々刺激を求めますから、善であれ悪であれ、それに従って自分の満足感をどこまでも追求せずにはいられない、欲求の働きがあるようです。善、悪は共に欲求が付きまといます。その欲求を求める善人は、まるで神仏の領域でもあるかのような振る舞いを…

理解したいし、されたいし。・・・

理解されることは、誰でも嬉しいことです。それは、私の存在が認められたことへの満足感が満たされるからです。誰もが互いに理解し合いたいと思っています。しかし、たいていの場合、自分が理解されることを、先ず望んでいます。そして、その結果は物別れが…

信仰していても、していなくても。・・・

一般に宗教とは、精神的安心感を与えてくれますから、精神的満足感を楽しむことができれば十分であると言えます。然し、信仰をしている人にとっては、それはまさに生き甲斐であり、神聖かつ犯さざるべきものなのです。それにもかかわらず、信仰も精神的な満…

全ての人に同じ幸福です。

命、よろこんでいる幸福(全ての人に同じ幸福)に気付くには、今日までのあらゆる常識を取っ払って、全く新しい立場から物事を意識するものです。自分の考え方で理解しようとしても、全く気付けないかもしれません。しかし、自分の考え方にこだわらなければ…