「命、よろこんでいる」ことが、理解されていないと、
それは単なる理想になるか、一種の宗教と混同してしまうでしょう。
影も形もない「命」と言う全くの無の何かを、少しでも理解できるようにと無理やりに、
「命、よろこんでいる」と言う言葉にすると、その言葉とは必ず反対の発想をしてしまいます。
ある形にしてしまうと、そのことで相対的になって、本質の「命」から離れてしまうのです。
「命、よろこんでいる」ことが、本当に理解できた社会であれば、
お互いが助け合ったり、利益を分け合ったりすることが楽にでき、
お互いに、仲が良い、好かれていることが常識になっています。
全ての人が共に同じ「幸福」であることを「命、よろこんでいる」と言う言葉で表現しています。
 
   命、よろこんでいる