inotiyorokondeiru’s blog

もともと生まれながらの幸福を「命、よろこんでいる」と表現しています。

単純なことですが。・・・

朝も昼も夜も、何時も「命、よろこんでいる」と、言葉で意識するだけのことです。
やがて、慣れてしまえば勝手に、体全体が「よろこんでいる」ことが常識になるでしょう。
そうすれば、何時も「よろこんでいる」ことになります。
そうなれば、戦争もなくなり、世界は一つになるということになります。
悩んでいる時間を「よろこんでいる」時間に変えたら生き方さえも変わります。
つまり、何時も「よろこんでいる」ことで、安定した毎日になります。
「生きている」実感がわかるというものです。
 
    命、よろこんでいる

命は時間とは関係ありません。

影も形もない「生きている」「命」、
つまり、「命」が形になったら寿命ということですが、それは変化した「命」の表れです。
寿命は形ですから、いつかは死ぬ運命がやってきます。
しかし、「命」は時間とは関係ありません。「命」は死の運命がないのです。
見えるものも、見えないものも、全て形があるものは時間の制限を受けています。
それは寿命が付きまとっているということです。
「生きている」ことを意識することはかなり集中しないとわかりません。
だから「生きている」ことを「よろこんでいる」に変えると、意識しやすくなるということです。
そして、それが「幸福」であるとすれば、人類は全て何時も「幸福」であるといえます。
私達はもともと幸福だったのに、それを知らずに、
自分の思い込みで苦しんでいると言えるようです。
その様に理解できれば、
「生きている」ことの意味が解ってきますし、無駄な悩みが整理出来ます。
後はイメージトレーニングを続けるということになります。
 
        命、よろこんでいる

命とは何かを考える。

科学者の世界では生命の起源を追究していますが、生命の起源は「命」が変化した一つの表れです。
だから、生命の起源も、「命」によって生かされているということになります。
「命」はすべての原因ですから、存在の全ては「命」が変化した結果ともいえるのです。
本質的に「命は生きている」ということが「命」だと考えたら、少しは解り易くなるかもしれません。
「生きている」ことが「命」ですが、「生きている命」は、

全く影も形もない何かを解り易い形にして、寿命と言っていると思って良いでしょう。
形になれば、それは何時か必ず壊れる運命がついてくるので、死が待っていることになります。


      
命、よろこんでいる

お母さんと信じています。

私の母はすでに亡くなっていますが、・・・
本当に実の母であったのか証明してくださいと言われたら困ってしまいますね。
最近ではDNA鑑定で証明できる方法もあるようですが・・・
大抵の人はそう信じていると言えるのではないでしょうか。・・・
私は文句なしにそう信じています。
そう思われる方が、私には多いように思うのです。
「命、よろこんでいる」も文句なしに信じられたらよいですね。
これを信じるのも、それを信じるのも同じです。
 
         命、よろこんでいる

悩みも思い込みかもしれません。

私達は地球が自転して回っていることは納得していますが・・・
地球が回っていることを感じてはいません。
私達は、地球の上にある、山も、川も、海も、人間も、全て一緒に回っているので、
回っていないと錯覚しているのです。
私達の脳がそう思っていると言うことになります。
錯覚していても気が付かないから錯覚と言えるのでしょう。・・・

思い込みそのものだって平気でやっているかもしれません。・・・!!
 

すでに自分が「幸福」であることを「命、よろこんでいる」と表現しています。
 
             
                               命、よろこんでいる

信じる機能は持ち合わせています。

私達は地球が自転していることは知っています。
しかし、それは見たことがあるからとか感じたことがあるから知っていると言うのではなく、
人からとか、本からの知識によって知ることが出来た人が殆どと言えます。
それは、その知識を信じていることになると言えるでしょう。
信じないで納得はできるのでしょうか。・・・?
やはり、その知識を信じないと納得できないのではないでしょうか。・・・!!
「命、生きている」ことを「よろこんでいる」と感じることが「幸福」です。
それを実感するためには「命、よろこんでいる」と信じる必要があります。
信じなければ納得できないからです。
 
     命、よろこんでいる

信じれば、納得でるでしょう。

「生きている」と意識するだけでは、多分「命」は寿命と思ってしまうでしょう。
だから、今までと同じ発想のままでは「生きている」実感を得ることはできないかもしれません。
私達は「生きている」のは当然と無意識的に思っているので、
今、自分がしたいことや、しなければならないことを考えてしまいます。
なぜなら、そうすることで、より良い満足感を得て、
もっと喜びたいと何時も満足感を求めているからです。
思うようにならない時は不満足になって、それが不幸になってしまいます。
その様な常識を別にして「生きている」感動を実感するためには、
「生きている」ことが「よろこんでいる」イメージになっていなければなりません。
それに、「幸福」とは満足感の幸福とは全く関係なく「何時もよろこんでいる」何かです。・・・!
「命、よろこんでいる」が「幸福」なら、全ての人は「生きている」ので「幸福」だと言うことが、
必然的に成り立っていることがわかるでしょう。
しかし、それを実感するためには「命、よろこんでいる」と信じる必要があります。
信じなければ、納得できないからです。・・・
 
          命、よろこんでいる