私達が自由に自分の好きな宗教を信仰し信心することを、楽しむことができるのは素晴らしいことの一つです。
しかし、本質を知らずに何かを信じることは、ある特定の宗教の神や仏に心が向きますから、精神的には自分が絶対となってしまいます。
もし、他の宗派の教えを正しいと認めてしまえば、自分の信じたものの絶対性が失われてしまいます。なので本質的に、他の宗教、宗派の教えを認めることはできないようです。
他の宗教、宗派の教えを同等か、それ以上の教えであると思うことができないとも言えます。
よくよく考えれば、宗派の違いも、精神的自己満足の考え方の違いでしかありません。
しかし、どの様な場合であれ、たとえ宗教感が違っていても、「命、よろこんでいる」ことには変わりありません。
よくよく考えれば、宗派の違いも、精神的自己満足の考え方の違いでしかありません。
しかし、どの様な場合であれ、たとえ宗教感が違っていても、「命、よろこんでいる」ことには変わりありません。
本質を「命、よろこんでいる」と言う言葉で表現してみました。
それを「世界共通の幸福」として提案しています。
そう意識して頂ければ「世界共通の理解」が確立していくと思うのです。
「生きている」ことを「よろこんでいる」と感じることが「幸福」と言うことを、
「命、よろこんでいる」と表現してみました。 命、よろこんでいる