例えに多少の無理があるかもしれませんが、・・・
車はピストンが始動してエンジンが動いてその力で進みます。
そのピストンを起動さるのはバッテリーの電源です。
人間で言えば、ピストンは心臓に当たり、その心臓を動かしているのは「命」です。
バッテリーは形を持っているので具体的に見えますが、…
「命」は影も形もありません。
私達は寿命を時間的な形で理解していますが、
それは「命」の変化した結果と言えます。
これは「命、生きている」と言うことでもありますが、生かされているのは寿命です。
なので全ての人は「命、生きている」ことを意識することがありません。
私達が何を考えようが、
感情や健康状態にも関係なく「何時も生きている命」が全ての土台です。
「命は生きている」それこそが全ての人に共通の土台であり、現実で事実と言えます。
私達はその結果で生かされているのですが、
脳は「自分は生きている」と意識しています。
何はともあれ、そこに起こっている現象にどう反応するかで脳は機能しています。
それらを意識できる土台は「命、生きている」からです。
全ての人に共通の土台「命、生きている」を
「命、よろこんでいる」と表現しています。
命、よろこんでいる