一人一人の違った正義感が矛盾を生み出す原因になっているのですが・・・
その人なりに一生懸命に生きる努力に気を取られてしまって、どれほどの矛盾が自分か
ら創り出されているのか、考える時間が持てないでいます。
「命、よろこんでいる」ことが本当に理解できた社会であれば、お互いが助け合い、利益を分け合うことが楽にできます。
なぜなら、全ての人が共に同じ「幸福」である「命、よろこんでいる」ですから、仕事も勉強も、遊びと同じ感覚になっています。
さらに、私達はお互いに好かれ合っていることが常識になっています。
しかし、「命、よろこんでいる」ことが理解されないと、それは単なる理想論になるか、一種の宗教と混同してしまうでしょう。・・・
なぜなら、相対の世界を土台にしている考えで、影も形もない「命」という全く無の何かを、少しでも理解できるようにと無理やりに「命、よろこんでいる」という言葉にすると、その言葉とは必ず反対の発想をしてしまいます。
ある形にしてしまうと、
そのことで相対的になって本質の「命」から離れてしまうのです。
例えば、
「命、よろこんでいる」を「命よろこんでいない」と反論することができます。
あらゆることは比べることができるからです。
「命、よろこんでいる」ことが全くわからないと、単なる意見になってしまいます。
命、よろこんでいる